禁欲23日達成
やはり調子が良くなってきている。
同時に、自分のやりたいことへのモチベーションも上がってきた。
やはり、こうやって段階を踏んでいくことには間違いがない。
必ず次のステップ以降に役立つ何かが、今のステップには含まれている。
まずは、心身ともに、本来の正常な自分の状態にもどるというのが必要なんだと思う。
余計なものを削ぎ落としていくということかも知れない。
重荷を背負ったままじゃ、遠くへは行けない。
そして、重荷を取り払ったとき、心の足腰は鍛えられているのかも知れない。
禁欲22日達成
今日から、昼に前日分を更新するようにする。
段々体調が上向いてきた。今やっている各種対策は、効果があるという証明だと思う。我ながら、まあまあ生活改善を徹底出来ていると思う。
ここで、油断したりしないようにしよう。むしろ、より徹底しようと思う。副腎疲労の改善での徹底というのは、徹底的に自分をいたわるということ。
もっと早く寝たり、考え方を自分を追い込みすぎない方向へ変えたりなど、色々とまだ余地はある。
そう考えると、本当に今やっていることは、生き方を変えようとしていると言っても決して大袈裟じゃない気がしてきた。
この先、「どういう状態になったら完全に良くなったと言えるのか」という問題が出てくるように思う。
そのときの答えは、体調が完全になってからも改善された生活を大きく崩さないで生活すること。というか、そのときには、改善された生活が当たり前になっているようでありたい。
副腎疲労と副腎不全
副腎疲労について調べているうちに、副腎不全についての体験を書いているblogに出会った。
そのblog主は、様々な医療機関などをたらい回しにされたあげく、ようやく副腎不全という病名に出会い、治療を受けて改善されたとのこと。
そのblog主いわく、副腎疲労という概念は、副腎の性質上ありえないことで、それは疲労ではなく副腎不全だと言っている。海外の資料も掲載されていた。
サプリなどによる治療にも否定的だった。
これが本当なら、自分の方針を変えなければいけない。
ただ、疑問もあって、このblog主は自分が副腎不全だったから、副腎疲労などありえないという医学会の見解のほうを信じているのではないかという点が一つ。
さらに、このblog主は副腎不全と副腎疲労の症状とされるものはまったく同じとまで言い切っているが、個人的には、副腎不全の症状というのを確認しても、「そこまでの症状はないな」というのが正直な感想である点。
追記:個人的にだけでなく、他のページを沢山漁って見てみても、副腎疲労の症状と、副腎不全の症状は、かなり違うものが紹介されている。例のblog主は、かなりバイアスかかった見方をしていると思う。
結局、自分で色々試したり調べたりしていくしかないというのは変わらないけど、副腎不全という方向からも検証する必要はあると分かったのは、有益だった。
今日の分の禁欲blogは、明日の昼に書くことにする。家に帰ってスマホを触るのはやめにするためだ。
禁欲21日達成
カフェインも白砂糖も取らずに生活していくと、本来の自分よりかなりパフォーマンスが落ちていることがわかる。
それを誤魔化すために、カフェインなどを毎日取っていたということ。
もともとは依存対象がなくてもマトモだったのに、依存対象を摂取するうちに、それなしではマトモでいられないかのように脳が錯覚するという、依存症のパターンが見えてくる。
禁欲19日達成
甘いものを避けていると、口寂しくなり、異常にそれらが欲しくなる。
この感覚は、昔タバコをやめたときと同じだ。
砂糖依存ということだ。
今日は甘いものが食べたくなったけど、我慢していた。その状態のまま、昼に蕎麦を食べたんだけど、麺を食べ終わった後、スープを一口飲んだら、異常に美味く感じた。
スープの中の砂糖が体に入って、禁断症状が一時的に緩和されたんだろう。飲み干してしまいそうな勢いを感じ、すぐに下げもの棚に出した。
昼に書いた日記に、食生活はメンタリティの反映だということを書いた。つまり、メンタリティや生きる姿勢の側からも変更していかなくてはならない。
それについては、計画していることがある。近いうちに報告出来ると思う。
今日は、下痢にはなってない。というか、便が出てない。でも、おならが異常に臭い。漢方の検証は続く。
生きる姿勢は、食生活に反映する
※前半、少し汚い話が出ます
一昨日の夜から、胃腸の病院で処方された漢方を飲んでいる。
そのためか、昨日の夜下痢になって、その便が物凄い臭かった。
これまで生きてきて、こんなに臭かったことはなかったと言うくらい。
お腹を壊しそうなものは食べていないので、原因は漢方だろう。
漢方には、好転反応がある場合もあるというけど、あれは腸に溜まった毒素を出したということだろうか?確かに、かなりスッキリした。
それか、単に体に合わなくて下したのか。
飲みながら様子を見ていこう。
さて、今日の日記の題名は、最近考えた仮説だ。
その人の生きて行く姿勢というか、メンタリティのようなものは、その人の食生活に影響しているのではないかということ。
食生活が先にあってメンタリティが築かれるというのは、よく聞くけど、実は、メンタリティが先なんじゃないか。
例えば、自分の場合だと、人生への取り組み方は、100m走のように最初から最後まで全力でやるという感じだ。しかも、それを人生のあらゆる場面でやろうとしてしまう。つまり、100m走の全力で、マラソンをしようとしてしまう。
常に交感神経が働きっぱなしで、アドレナリン全開のような感じだ。
そういう無理な生き方をする為に、手に取るのが、カフェインや白砂糖というわけだ。
最初から、破綻することが目に見えていたのかもしれない。
ドラゴンボールの悟空だって、界王拳で24時間生きていたら、ブッ倒れるだろう。
甘いものの食べ放題にしょっちゅう行っている人が知り合いにいたけど、性格や人生に、大きな欠落を抱えていた。
おかしいな、と思うような人、あきらかに人格障害と思われるような人に限って、大抵毎日チョコレートや缶コーヒーやエナジードリンクを飲んでいたりする。
まあこれは、そう思って見てみればそう見えるという可能性がもちろんあるけれど。
少なくとも、自分自身はそうなっている気がする。
食生活はメンタリティを作るし、メンタリティは食生活を作る。
どちらが先という話ではない、というのが真実かも知れない。